──膨大な時間を使う
中・高の定期テストの前に「サブノート」を作る人が、少なくとも私の周りには結構いた。
出題範囲が比較的狭い定期テストでは、それなりに効果はあったのかも知れないが、宅建試験などの資格試験ではどうだろう?
例えばテキスト。宅建試験用の一冊本ならば、500~700ページあたりが標準的だ。
資格学校に通っている人ならまだしも、独学で勉強を進めていこうとする場合、この厚さのテキストをサブノートにまとめていくには膨大な時間が必要となる。
相当に根気のある人でないと続かない。
中高生の頃に、サブノートを作ることによって成績上位をキープしてきた人ほど、その成功体験が忘れられなくて、資格試験でもサブノートを作りたがる。そんな気がしてならない。
定期テストはもちろん、サブノートを作ることで日々の予習・復習を兼ねることができた。しかしそれも、毎日の授業があってのこと。
独学で資格を取得しようとする場合、日々の予習・復習というものは普通はなく、ひたすらインプット→アウトプットを繰り返すのみだ。
その過程でサブノートなんか作っていたら、時間がいくらあっても足りない。
どうしても書き込みをしたければ、テキストや過去問の余白にすればいい。改めてノートをとる必要などないと思う。
──サブノートの罠
もう一つ。サブノートを作っていると、あたかも自分が頑張って勉強している気になる。これはある意味、麻薬のようなもの。
しかし、その努力とは裏腹に、実力が身に付いていないことにやがて気付く。その時期が、9月や10月だともう間に合わない。
一昔前に、ある有名人(女性)が、宅建を取得するために大学ノート数冊分ものサブノートを作って本試験に挑んだことがあった。
しかし残念ながら、彼女は合格できなかった。合格基準点に6点ほど足りなかったのだ。
これはほんの一例で、こういう人は、世の中にたくさんいると思う。
もちろん、サブノートのお陰で合格できた、という人も中にはいるだろう。だがほとんどの場合、サブノート作りは時間の浪費に終わる。
少なくとも宅建試験では、サブノートは必要ない、というのが私の持論である。
宅建試験で重要なのは、過去問の論点をいかに頭に叩き込むかだ。その蓄積された論点の数が多ければ多いほど合格に近付ける。
重要なのは過去問であって、テキストではない。テキストの要点をまとめただけのサブノートは、所詮テキストの二番煎じに過ぎない。
昨年もブログ記事の中で何度も説いたが、近年の宅建試験は、テキストの通読だけでは合格できない。過去問の論点を汲み取る作業を継続させなければ、本試験で結果を出せないのだ。
「宅建試験は壮大な間違い探しの試験である」
よく耳にする一文だが、これは間違った論点を弾き出し、正しい論点をすくい上げる作業を継続的に行ってこそ為し得ること。
付け焼き刃の知識では対応できない。過去問を解く本当の意味はここにある。
宅建試験では、過去問学習に時間を費やすことで合格を引き寄せることができるのだ。テキストではないし、サブノートでもない。
この意味を正しく理解できる人ならば、もはやサブノートを作ろうとは思わないはずだ。